「サバキ」とは、芦原英幸先代館長が、その空手修行のなかで考案した技術の総称であり、芦原空手の神髄である。
打たれずに打ち、倒されずに倒すのが空手の極意だとすれば、無駄のない合理的な動きを行う必要がある。
それには、従来の空手でよく見られる正面からの力と力のぶつかり合いを避け、相手のサイドやバックに回りこみ、攻撃をされにくいポジションを得ることが大切である。そして有利なポジションから相手を攻める。
常に相手の動きをリードし、打たせずに倒す、攻めを受けながら崩し、自分の攻めにつなぐ攻防一体のスーパーテクニックが「サバキ」である。
芦原英幸・芦原會館 関連年表
1945年 芦原英幸先代館長が広島県佐伯郡能美町に生まれる
1960年 就職のため東京に出る。
1961年 大山道場に入門。
1964年 大山道場で初段を取得。
1965年 大山道場が、国際空手道連盟 極真会館として発足。
1966年 極真会館の指導員となる。
1967年 四国へ渡り、支部開設活動を開始する。
1970年 八幡浜道場完成。
1971年 松山市への進出をはじめ、大阪、広島、九州などに支部を展開。
1978年 松山道場(現在の芦原会館総本部)完成。
1980年 極真会館から独立し、新国際空手道連盟 芦原会館を設立。
1983年 東京・新宿道場を開設。
1992年 左手に異常をおぼえる。
1993年 ALS(筋萎縮側索硬化症)という難病と診断される。
1995年 4月24日 芦原英幸先代館長、永眠(享年 50歳)
芦原英典館長が二代目館長となり、芦原会館は日本国内160・海外170の支部を有する空手団体として現在に至る。
芦原英典館長のメッセージ
新国際空手道連盟「芦原会館」は、誰にでも安心してでき、楽しみ楽しめる空手をテーマにしています。
混迷の世の中にあって、心身のよりどころとして、又、社会に飛躍する若い力にとって必要な基本戦略となるべき空手を目指しています。
芦原空手は強くなるための合理性を追求して30数年、その修行と体験等をもとに、今後とも特に青少年のみなさんの人間形成の場を提供することにより、若い力がより磨きあげられることを願っています。
心身のパワーアップが心のパワーアップにもつながるのです。
強さだけでもだめですが、強くならなければ真の優しさも、おもいやりも実行できません。初心者から上級者までの各クラスそれぞれの力に応じて、私自身供に学ぶことによって、社会生活に生かせる新しい空手をつくりあげることを目指しています。
芦原会館は、その人その人の目的に応じて、空手を真に愛し、学ぶ仲間と共に自分自身にチャレンジし、自己をより高め、人間的にパワーアップされるように取り組んでいます。
さらに、日本という枠にとらわれず、世界の人々と芦原空手という共通の目的意識をもつことによって、より高い国際的な人間性と友情を作りだすことを確信しています。
この複雑な社会をより充実して生きるために、空手を学ぶ仲間と共に自分を鍛え新しい日本にチャレンジしよう。
私たちは、より正しく、より力強い明日を目指して、空手の道を追求します。
館長をはさんで、若き日の高倉先輩と織田支部長、
館長の後ろにわたし。
先代館長の福岡審査での指導風景
玖珠支部の歴史
1982年に極真会館芦原道場時代から入門していた前支部長である、高倉和徳先輩が大分県玖珠郡玖珠町の塚脇公民館に於いて、玖珠支部を発足しました。5年後の1987年に現支部長である工藤雅洋が芦原会館玖珠支部に入会し、高倉和徳先輩の指導を受け、二年後に先代館長より初段(2016年6月、英典館長より四段の授与)を授与されました。
1989年にはプレハブの常設道場を設けて玖珠支部の運営を続けて参りましたが、高倉和徳先輩の仕事の都合により支部運営を続けることが困難になり、2005年より道場を現在のB&G海洋センター二階の武道場に移し工藤雅洋がリーダーとなり、玖珠同好会として運営を引き継ぎました。2009年には、玖珠同好会を改め玖珠支部としました。
現在大分県では、大分支部長の川野喬二師範代、宮本恵博師範代の下に佐伯支部、臼津支部、大分支部、別府支部、玖珠支部、日田支部、大分西部支部の7支部が芦原会館の発展の為に、他の指導者及び会員の方々と共に努力しております。